[Essay] 米国におけるPolitical Diversity(意見多様性への寛容さ)について
米国におけるPolitical Diversity(意見多様性への寛容さ)について
今週は初めての試み、JGSエッセイです!留学中の日本人学生が現地での学び・気づきをいつもよりじっくりと語ってくれます。インタビュアーの無駄な語りも一切ありません笑 それではどうぞ!ニューヨークは名門リベラルアーツのバッサー大学から、上志航平さんです!
「アメリカ大学のドリンキングカルチャーとそれについて感じたこと」
ポスターやサインをもって、大きな声を挙げながら何百人の生徒たちが、メインビルディングの周りに集まりました。”Security should be covered by our tuition”
“Vassar supports rapists”
“We want Justice”
…
生徒たちは、皆険しい表情をしていました。一体なぜこういった状況が起こったのか?
ヴァッサー大学の学生は、ものすごく真面目な生徒が多く、日頃よく勉強しています。一日中、図書館で勉強している生徒も珍しくありません。その反動で、ストレス発散するために、派手なパーティーに参加する生徒も非常に多いです。アメリカのパーティーというのは、大音量の音楽を鳴らしながら、アルコールやマリファナ使って、ノリノリテンションになります。その場でセックスをする人もいます(Hook-Up Culture/One Night Stand). 僕はこういうノリが大嫌いなので、パーティーには、一切参加しません。
2014年の秋の事です。 ある女子学生がウォッカをがぶ飲みし、泥酔状態になりました。その子の友達が、部屋まで連れて帰り、僕のサッカーチームの友達Jが一人残り、介抱していました。数時間後、女子生徒が目を覚まし、アルコールの残った状態で、二人はセックスをしました。
二ヶ月経ったころ、突然大騒ぎになりました。その女子生徒がいきなり、 「私はレイプされた」 と言いだしたのです。大学のルールでは(またはアメリカの社会的な決まりでは)、酔った状態での合意は、認められません。その女子生徒は、二ヶ月間周りの人に言わず、ひとりで悩んでいましたが、ついに耐えられなくなり、学校に訴えました。大学は長い時間をかけて調査し、数ヶ月後に、結論を出しました。「あなたのクレームには認められない。Jは退学にも停学にもならない」と。
この結論が正しいかどうか証明するのが、僕の目的ではありません。それよりも、これに対する、生徒のリアクションに対して驚きました。なぜなら、 ほぼ全員の生徒が、一方的に Jを避難し、女子生徒に同情した からです。 生徒たちはメインビルディングでデモを行いました。ソーシャルメディアでは、Vassar College Men’s Soccer supports rapists” など、Jと仲良くしているサッカーチームも非難され、キャンパスがピリピリした雰囲気に包まれました。 Jを少しでも庇おうとする生徒たちは、変な目で見られました。
−(編者注)上はデモの様子。 マットレスを担ぐことは、近年米国大学を中心に現れたアンチレイプへのシンボル。
僕はそこで少し不満に思いました。どっちが悪いかなどではなく、生徒たちの意見の多様性のなさに。これは、ヴァッサーのミッションステートメントの一部です。
-“Vassar College is committed to working toward a more just, diverse, egalitarian, and inclusive college community where all members feel valued and are fully empowered to claim a place in”
ヴァッサーにとっては、Student Bodyの多様性は最も大切です。確かに、周りを見ると、経済的、性別(ゲイ、レズビアン、トランズ、バイ)、人種、様々なバックグランドを持った人が集まっています。ただ、この事件の後、一つ多様性が欠けている部分に改めて気付きました。ヴァッサーは、リベラルな生徒が非常に多い。そしてその結果、場合によって一気に多様性がなくなる危険性があります。「Political Diversity がない」とは言いません。ただ、女子生徒を批判する生徒が、逆に批判されて、多くの生徒と異なる意見を表現するのが怖くなる、そうなると大学のミッションステートメントに矛盾がでてきます。色々な意見を遠慮なくぶつけ合うことができる環境はとても大切だと感じました。様々な面では多様性がありますが、時にはそれが一気に消える。このような場合、「本当にDiversityがあると言えるのか」と思いました。
最終的に大学はSexual Assault and Violence Prevention (SAVP) programなどを作り、生徒たちの要求に対応しました。事件の結果は変わりませんが、このような迅速な大学の姿勢は、素晴らしいとも思いました。
<編集後記> いかがでしたでしょうか。かなりショッキングな内容であるとともに、とても深く考えさせられます。エッセイで取り上げられた任意行為かレイプ行為なのかの論争に限らず、差別問題やイスラム国問題、身近では痴漢行為と痴漢えん罪など、多くの点においてこのような問題は起こりうると思います。しかし、議論の自由が謳われる米国の大学でさえ決定的な意見が形成されると、相異なる議論は阻害され、否定されます。 小規模ながらも記事を書き、公に発信する身として私自身も気をつけなければならない問題だと認識を新たにさせていただきました。
* 今回取り上げられたVassar Collegeのレイプ論争に関してまとめている記事を以下に掲載しておきます。非常に興味深い内容となっております。 THE DUBIOUS RAPE TRIAL AT VASSAR - Minding The Campus